こんにちは。
今回は、オーストラリアワーホリに来た最初の1年間についてまとめたいと思います。初めての海外生活、初めてのワーホリで何をして何を思っていたのか。
特にセカンドビザを取りたいと思っている方にはこんな流れもありだと参考にしてもらえると嬉しいです。ぜひ最後まで読んでみてください。
ブリスベンでの日々
オーストラリアで初めて住んだのは3番目に大きい都市ブリスベンでした。
私は最初に語学学校に行って英語を勉強したかったので、始めの4か月間はブリスベンで過ごしました。
悩んだ初めの2か月
日本を離れ、オーストラリアの生活は初めてのことだらけ、分からないことだらけの連続でした。また、学生寮も1か月後には出ないと行けず、家探しにも苦労しました。
2月2日 ブリスベン到着、入寮
2月4日 語学学校スタート
3月2日 退寮、シェアハウスへ引っ越し
英語の読み書きはできるけど話すことは全然できなかった私は、語学学校でとても苦労しました。
テストはいい点を取れるし、授業内容もほぼ知っていることばかりでしたが、話し合いの時間や発表の時は何もできず。英語でうまく会話が出来なかった為、仲良くできる友達を作るのも難しく、毎日悔しい悲しい気持ちでいっぱいでした。
そんな中、銀行口座開設、スマホのSIMカード契約、家探しや引っ越しも自分でやらなきゃいけなくて、毎日悩んでいた記憶があります。
\ 語学学校についてまとめた記事はこちら/
英語の楽しさを知る
英語を皆みたいに絶対に話せるようになりたくて、とにかく練習しようと努力を始めました。
英語の歌を聞いたり、フレンズを見たり、毎日英語を耳に入れて過ごしました。
そんな中、無料の英会話クラスやミートアップを知り、英語を実際に話す練習を始めました。この頃から少しずつ会話ができるようになり、知り合いや友達も増え、毎日が明るくなったことを鮮明に覚えています。
私の1日のスケジュールがこちら
語学学校(9時~14時)
⇒ 学校か図書館で自習・宿題(14時~15時)
⇒ 図書館開催のconversation class(15時~16時)
⇒ シテイ無料エクササイズ、ヨガ・ズンバ・ピラティス(15時~16時)
⇒ 教会の無料英語クラス(16時~17時)
夜中の11時くらいまでmeet-upで英語で話して、帰って、寝て、次の日学校へ。
こんな日々を繰り返し、英語に少し自信を持てるようになると、英語で人と話すのが楽しいと思えるようになりました。
自分で自分を行動させた結果、友達もたくさんでき、楽しい毎日だったと今思い返すことが出来ています。
悔しさも難しさも嬉しさも楽しさも、全て味わったブリスベンでの4か月間でした。
海外で初仕事
語学学校を卒業し、初めての仕事に挑戦しました。
5月31日 語学学校終了
6月3日 カブルチャーへ移動
6月11日 ラズベリーファーム開始
カブルチャーへ移動
私はお金を稼ぐ目的もあったけど、一番の目的はセカンドビザを取得することでした。
語学学校で出会った友達に紹介してもらったファームジョブにアプライし、荷物を持って電車でカブルチャーという町へ移動しました。
歩合のラズベリーピッキングの仕事でしたが、全然ブラックとかでなく給料や体制に問題はありませんでした。
ただ、みんな競争意識が強く、ファームジョブの厳しさを知りました。
ピッキング自体は楽しかったのですが、給料は週700ドルほどでそこまで稼ぐことはできませんでした。
9割が台湾の人だったけど、台湾人、めちゃ早かった!!
\ラズベリーピッキングについての記事はこちら/
英語力は低下
ブリスベンで手に入れた英語力とコミュニケーション力はみるみるうちに低下していきました。
ピッキング中は話をしないし、シェアハウスは全員が台湾人でなぜだか委縮してしまい、家でも全く話をしなくなりました。
話す機会が減り、モチベーションも降下してしまい、焦り始めた時期でした。
6月から2か月ほどカブルチャーで仕事をし、ラズベリーのシーズンが終わりに近づいたので他の地域に移動することに決めました。
初めてのNSW州へ
ブリスベン、カブルチャーとQLD州で過ごしてきましたが、初めてNSW州に移動してきました。
8月27日 コフスハーバーに移動
8月28日 ブルーベリーファーム開始(ウインターシーズン)
ブルーベリーピッキング
私の2番目のファームジョブは、ガムツリーで見つけたブルーベリーピッキングの仕事でした。こちらも歩合制で、稼げるかどうかは自分次第なのですが、ここでもあまり稼ぐことはできませんでした。
給料は平均したら週500ドルくらいでしたが、セカンドビザのためだと思い頑張りました。
\ブルーベリーピッキングについての記事はこちら/
楽しかったシェアハウス
私は1人でファーム移動をしましたが、ほとんどの人が友達同士、カップル同士で来ます。少し不安もありましたが、この時のシェアハウスのハウスメイト達が良い人ばかりで毎日がとても楽しかったのを覚えています。
一緒にご飯を食べたり、ゲームをしたり、ガールズトークしたり、バドミントンやバレーボールもしました。
毎日同じ時間に起きて、一緒にファームジョブして、同じ時間に寝る、というのを繰り返していたので、すごく絆が深まったと思います。これがまさにファームジョブだなと感じました。
毎日英語で話していたので英語力はブリスベンの時ほどではないけれど また徐々に上がっていったよ
運命の出会い?
ここで、今の彼と出会い付き合い始めました。
ほとんどが韓国人の中、私一人が日本人だったのを気にかけて彼が話しかけてきたのがきっかけでした。
彼は日本語が少し話せたので、毎日夜遅くまで2人で話をしていました。
喧嘩もたくさんしたけれど、彼のおかげで毎日楽しく過ごせました。
出稼ぎにぶどうファームへ
ウィンターブルーベリーが終わり、サマーブルーベリーが始まるまで1ヶ月待たないといけないということで、同じファームコントラクターがやっているぶどうファームへ出稼ぎに行くことにしました。
場所がVIC州のロビンべイルという町だったので、途中皆でシドニーで遊んでから行きました。
11月7日 シドニーへ出発、旅行
11月10日 ロビンべイルに移動
11月11日 ぶどうファーム開始(カッティング、リプランキング)
ぶどうファームハンドジョブはきつかった
出稼ぎのために来たぶどうファームでの仕事は、最低の結果となりました。
とにかく仕事が難しく、給料はほとんど稼げませんでした。ファームハンドの仕事は経験が必須で、経験者は1日に200ドルとか稼いでいる人もいました。私たちは何の知識もなく、コントラクターの言うまま、稼げるという言葉を鵜吞みにして行きましたが、行かなかった方が良かったと思いましたね。
\ぶどうファームハンドジョブについての記事はこちら/
過酷な1か月
給料の面以外でも、ここでの生活は過酷なものとなりました。
仕事がハードすぎるのに給料低すぎる。
上司の指示がいつも変わり嘘ばかり。
シェアハウスが古く、不便、ゴキブリがやばいくらい多い。
一緒に来た友達皆が精神的に追い込まれ、ストレスから喧嘩も増える。
金欠の人が続出して金銭面のもつれから人間関係悪化。
この間に2人が仕事を辞め出ていく。
休日に友達の車で遊びに行っていたら、衝突事故が起きる。
本当にいろんなことがあり、あんなに仲良かった皆がバラバラになっていきました。
サマーブルーベリーが準備が出来て戻れると聞いた時は本当に嬉しかったですね。
再びブルーベリーへ
過酷な1か月を乗り越え、再びブルーベリーピッキングへ戻りました。
12月14日 コフスハーバーへ移動(戻り)
12月15日 ブルーベリーファーム開始(サマーベリー)
12月31日 皆で年越し(この日も仕事あり)
1月17~20日 両親とシドニー旅行
1月26日 ブルーベリー終了
両親と旅行
ブルーベリーピッキングの途中で休みをもらって両親とシドニー観光をしました。ちょうどコロナがひどくなる前で、タイミング良く両親がオーストラリアに来れたので良かったです。
4日間という短い期間でしたが、最高の思い出が出来ました。
セカンドビザ申請
2月1日にビザが切れるので、余裕を持って1月10日にセカンドビザを申請しました。
セカンドビザの申請方法はネットでたくさんの方がシェアしてくれているので、それを参考に申請しました。約2~3時間ほどかかりました。
これで2月1日を過ぎてもまずはブリッジングビザになるので合法的に滞在できるようになりました。
\セカンドビザが承認されない時はこちら/
まとめ
ブルーベリーピッキングのシーズンが終わると同時に、私のオーストラリア1年目も終わりました。
1年目は、語学学校とファームジョブ、シティと田舎を経験した1年となりました。移動も4回して、なかなか充実していたと思います。
初めての経験ばかりで嫌なこと辛いことも多く悩みながらの1年目でしたが、その分達成感や楽しさもたくさん感じることが出来ました。自分が少し成長できたなあ、チャレンジ出来たなあと思える日々を過ごせて本当に良かったと感じます。
私は、申請してから約1か月後にセカンドビザが承認されたよ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
\続き 2年目の話はこちら/