こんにちは。
この記事では、私のオーストラリアワーホリ2年目の出来事をまとめています。
色々なトラブルに見舞われた1年間でした。こんなこともあるんだと参考にしていただけたらと思います。ぜひ最後まで読んでみてください。
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地獄のぶどうピッキング
ブルーベリーピッキングが終わり、どこのファームジョブに行こうかと迷っていましたが、結局友達と一緒にぶどうピッキングをすることにしました。場所は1年目の11月にファームハンドをしていた場所と同じロビンべイル。
1月27日 シドニーへ移動
1月30日 ロビンべイルへ移動
2月1日 グレープファーム開始(ピッキング)
精神的に落ち込む
この前はファームハンドでしたが、今度はピッキングでした。お金を稼げると聞いていたのですが、思っていたよりは稼げませんでした。ファームジョブはピッキングできる作物が限られているため、ある意味競争しないといけません。しかし経験者が多く、未経験の私は稼ぐのが難しかったです。
\ぶどうピッキングについての記事はこちら/
また、シェアハウスが男女混合5人部屋であり、心が落ち着く場所がなく、精神的に疲れてきていました。
ファームでも経験者に囲まれて仕事が辛く、稼げず、家でも落ち着かない。こんな日々が1か月続いた後、ファームを移動することになりました。
ファームを移動するが稼げず
ロビンべイルが稼げないということで、ブルーベリーの時のコントラクターに呼ばれてミルデュラのファームへ移動しました。ロビンべイルから車で1時間のところでした。
2月24日 ミルデュラのぶどうファームへ移動
5月29日 ぶどうピッキングが終了し、ファームハンド開始
(プリング、ローリング)
そこで彼は時給パッキングの仕事をもらい、私も周りが未経験者ばかりの中でのピッキングなので比較的稼げるようになりました。
日本人ワーカーとも出会い、久しぶりに心から笑える日々を送れてたよ。
ですが、稼げた時期は少なく、4月5月はぶどうが全然無いところをクリーニングしたりなど稼げないまま過ぎていきました。その後ピッキングの仕事が終了し悪魔のファームハンドジョブが始まりました。
案の定全く稼げず、辛くストレスが溜まる一方でしたが、コロナもあり移動が出来ずにいました。
金銭面のトラブル
この頃から、彼氏の親友との金銭問題が始まりました。
その人は仕事しても稼げないからと毎日デイオフを取る怠け者でした。その結果お金が無いから貸してくれと私の彼に頼むようになりました。彼は親友の助けになりたいとの思いで毎回貸してあげていました。彼氏が貸せない時は私が貸してあげていました。
後で返してくれると信じていた私たちが後で馬鹿を見ることになるのを、私たち2人はまだ知りませんでした。
コントラクターの仕事
ぶどうのファームハンドを終えて再びブルーベリーピッキングをしにコフスハーバーへ戻ることになりました。
6月19日 シドニーへ移動、車を買う
6月22日 コフスハーバーへ移動
6月23日 ブルーベリーファーム開始(ウインター)
初めて車を買う
この時、コントラクターから私の彼にコントラクターの仕事をしないかとの誘いがあり、彼は承諾していました。彼も挑戦してみたかったからです。彼がやるならと私も全力でその手伝いをしていました。
まずは自分で車を持つ必要があるとのことで、シドニーで車を買うことにしました。
これも初めてのことだらけでトラブルが続きましたが、なんとか購入し、その車でコフスハーバーまで戻りました。
\車購入についての記事はこちら/
車の故障
車を買ってからすぐに車の調子が悪くなり、とうとう2週間後に動かなくなってしましました。エンジンの問題ということで、修理するお金もなかった私たちはとりあえず車をコントラクターの家に置いてもらっていました。
ファームまでの行き帰りを自分の車でできると思っていたのに、結局コントラクターにピックアップしてもらう羽目になり、ピックアップ代も毎日払わないといけませんでした。
車の故障はショックが大きすぎてだいぶ落ち込んでたなあ
コントラクター業の落とし穴
私たちはその時、車の故障の他にも大きな問題を抱えていました。
それはコントラクターの仕事についてでした。コントラクターの仕事をしないかと誘ってきた韓国人コントラクターAは、いつも自分のお金儲けしか考えてなく、言葉を毎回変えては私たちをうまく利用しているに過ぎなかったのです。
ワーカー集めも、給料計算も、シェアハウスの問題解決も、家賃集めも雑用も色々やりました。Aが自分に有利にワーカーを集めたり配置していたので、私たちがもらえる給料はほぼなかったです。
最終的には不信感が確信となり、Aの元から離れることを決めました。
良い経験となったことは間違いないですが、色々準備などして頑張った結果裏切られた形となり本当に悔しかったです。
\ファームコントラクターについての記事はこちら/
ファーム大企業コスタへ
1年間働いた韓国人コントラクターのファームを出て、すぐにコスタに申請をしました。
7月22日 ブルーベリーファーム(韓国人コントラクター)を辞める
7月23日 コスタへ申請
8月31日 コスタのラズベリーファーム開始
コスタへ申請
悪徳コントラクターの元にいた私たちは、もうコントラクターの元では働きたくないと思い、ファーム大企業であるコスタで働くことにしました。
コスタは申請してから実際に働けるまでにウェイティング期間があるので、その間はパートタイムとして別のブルーベリーファームで働いていました。
\コスタの申請方法についての記事はこちら/
ラズベリーピッキング
コスタでは歩合制のラズベリーピッキングをしました。コスタは稼げるという噂は本当で、今までで一番稼げました。週に1000ドル以上稼げる時もありすごく嬉しかったです。
ただ、コスタは企業なので上からの圧力も強く、ルールも厳しいため、少し息苦しく感じる時もありました。
毎日ピッキングの順位が張り出されるので負けず嫌いな私は本気でピッキングしてたよ(笑)
\ラズベリーピッキングで実際に私が稼いだ給料を公開/
3つの悲劇でどん底に落ちる
コスタで働き始め、給料も安定し始め、ずっとやりたかったラウンドトリップに行く準備を始めました。しかし、そこでも様々なトラブルが起き、ラウンドトリップは中止になってしまいました。
詐欺で5,000ドル失う
ラウンドトリップのための車を買おうとして、詐欺にやられ5,000ドルを失いました。
車の広告主にインスペクション希望の連絡をするとebayを仲介して売るとのことで、車を私たちのところへ運んでくれる、また3日間のインスペクションの期間をくれるとの説明がありました。お金を先に送ってと言われ、無知だった私たちはそのまま送金。そして約束の日になっても車は来ない、連絡もつかないという流れでした。
その時の私たちは、悔しさ恥ずかしさ悲しさなど言い表せない気持ちでいっぱいで、新しく車を買うお金もないのでラウンドトリップは中止せざるを得ない状況でした。
\詐欺について詳しく書いています/
車の盗難
車の詐欺に遭って間もなく、2つ目の悲劇が起こりました。
私たちが初めて買った車が盗難されていたのです。その車は買って2週間ほどで故障し動かなくなったのでコントラクターの家に置いていてもらっていました。
そのままにしていて私たちが悪かったんですが、それもまた大きなショックでした。車が無くなったことに気づいてから、警察署、市役所など色々回って調査をしてもらいましたが、見つかりませんでした。
\車の盗難についての記事はこちら/
親友の裏切り
詐欺に盗難とどん底を生きていた私たちに、最後にして最大の問題が起きました。
前からあった親友との金銭問題が悪化していたのです。親友に合計3,000ドル貸していましたが、結論返してもらえませんでした。
親友は彼女と別の地域に移動しており、すぐに返すと何回も言いながら毎回言い訳ばかりで一向に返してくれず。それなのに自分のトラブルを理由にまたお金を貸してくれと言ってきたり勝手に彼のカードからお金を引き出してしたりしました。(以前は彼と親友は一緒にカードを使っていたためナンバーなど知っていたから)
お金が戻ってこないことよりも親友のその態度に腹が立ち、我慢が抑えきれず言い合いを何度もしました。それでも最後まで彼は親友を信じていました。
私と彼の間にも亀裂が走り、毎日喧嘩ばかりで本当に苦しかったです。
何か月もこれが続いて、最後のチャンスも与えましたが意味がなく、私たちは親友との縁を切ることにしました。お金も親友もあきらめて、2人で前に進もうと決めて。
心機一転タスマニアへ
色々なことがあり、精神的にはもちろん金銭的にもダメージを受けた私たちは、移動の補助金が出るということでタスマニアのコスタで働くことにしました。
12月11日 コスタラズベリーピッキング最終日
12月31日 コフスハーバーを出発
1月7日 タスマニアに到着
1月12日 コスタブラックベリーピッキング開始
1月25日 サードビザ申請
1週間のロードトリップ
コフスハーバーから車でロードトリップをしながらメルボルンまで向かいました。本格的なことはできませんでしたが、途中でキャンプをしたり国立公園に行ったりと楽しかったです。そしてメルボルンからフェリーに乗ってタスマニアへ行きました。
\タスマニアフェリーについての記事はこちら/
ブラックベリーピッキング
タスマニアではブラックベリーのピッキングをしましたが、想像していたよりは稼げませんでした。今年はレートも低く、フルーツの状態も良くなかったので1か月間だけ働いて辞めました。
タスマニアでは初めてテント生活をし、今までにない経験が出来て良かったです。
\ブラックベリーピッキングについての記事はこちら/
サードビザ申請
1月の終わりにサードビザを申請しましたが、実をいうとペイスリップが5枚足りない状況で申請をしました。
今年の前半(ぶどうピッキング)はペイスリップをもらっていなく、色々あって計算がずれてペイスリップが足りなくなってしまったのです。いったんある分だけで申請をし、そのままファームジョブを続けて後から追加する形を取りました。
結果的には、サードビザを取得することが出来たのでこのやり方でも問題はないかと思われます。
まとめ
私のオーストラリアワーホリ生活2年目は、まさに波乱万丈の1年間でした。
全てに共通して言えるのは「無知は危ない」ということです。私たちは知らないことが多すぎました。車のこと、お金のこと、人のこと。
これも人生の勉強で価値のある1年間だったと思い直し、これからも何があっても前向きに生きていきたいと思います。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。